爽:新人類(創作3)
私の虚ろな目の前に映し出されたホログラムには今流行りの防護服が宣伝されている。
「あなたの心臓をお守りします」
心臓が増える腹部に付ける防護服らしい。
関係のない話だと歩く私の頭上を多くの人が通過する。街ゆく人々は下を見て笑いながら通り過ぎていく。
私には心臓が1つも発現していない。つまり旧人類なのである。かつては全人類が心臓を1つしかもっていなかったらしい。
「心臓って1つしかなくても死なないらしいよ」
上空を通過する人の笑い声が聞こえる。
そりゃそうだ。だって私は今1つの心臓で生きているのだから。
心臓の強さは身体の強さである。人間の能力が10%しか使われていないというのも今は昔の話であり、その残りの90%の能力を次々と解放し始めた人間はそれに伴いその負荷を低減すべく心臓の数が増えていった。現代の社会におけるステータスは完全にそれに支配されてしまった。なにせ身体能力が根本的に違ってくるのである。
空を飛ぶ彼らは少なくとも1つは心臓が増えていることだろう。2つ増えている者もいるだろう。そんな彼らを尻目に今日も仕事に向かう。心臓を1つしか持たない私に与えられた仕事は専ら雑用だ。一番何もできない人間に一番簡単な仕事が割り振られるのは自然の摂理である。
しかし、一方で彼らは狙われている。なぜなら心臓の数が少ない人間は身体能力の向上のためにより多くの心臓を取り込みたいからである。心臓の発現には個人差がある。2つの心臓を持つ人間は3つの心臓を持つ人間を、3つの心臓を持つ人間は4つの心臓を持つ人間を狙った人狩りが横行していた。
その点において心臓を1つしか持たない私は誰にも追われることはなく安心であった。
私が雑用を行っている会社は世界的に有名な企業であるが、そのトップを司る社長は3つの心臓が発現し4つの心臓を持つ、世界でも数人しか確認されていない新人類の1人であるという。私は仕事を任される際に聞いたことがある。
「なぜ私のようななんの能力も持ち合わせていない人間を雇ってくださったのでしょうか?」
「私は旧人類とか新人類という括りが好きではないのでね。すべての人間に等しく可能性があると思っているよ。君にも期待している、頑張ってくれ」
人格の良さは心臓の数に比例しないが、社長は優れた人格者でもあるらしい。
社長に尽くすべくどのような仕事でもこなしていこうとそのとき心に決めた。
今日の業務はトイレ掃除を始めとしたとても簡単な雑務であった。昔よりも匂いに過敏になったのだろうか、トイレはいろんな匂いが混ざっており、微かに血の匂いなども嗅ぎ分けられた。
匂いに耐えながら掃除を進めていたところ、トイレに社長が入ってきた。
「お疲れ様です」
「いつも綺麗にしてくれてありがとう、お疲れ様」
背を向けて掃除していると、ドンという音とともに意識が鈍り視界が揺らいだ。
遠のく意識の中で上半身に数回重い衝撃が走るのを感じた。自分の体に何が起こったのか知りたがったがそれより先に瞼が閉じた。
街ゆく人々の目の前に映し出されたホログラムには人狩りのニュースが放送されている。
発見された死体は腹部を4か所、賽子の4の目のように貫かれ大の字になっており死因は出血多量による失血死だったという。
世界的に有名な企業の社長が話しているのが映し出される。
「自分より上の人間が生きている可能性を排除したかった。5つの心臓を持つ可能性があるのはまだ心臓が発現していない人間である」
目を視る(創作2)
その長い睫毛と澄んだ瞳から目を逸らすことはできなかった。
その行為は「目を見て話を聴く」ではなく「話を聞き目を視る」であったように思う。
学生街にある美味しいことで有名な中華料理屋で卓を囲みながら話を聞いていた。共通の友人に誘われて大学で課題のお手伝いを行った帰りである。
その人は都内でも有数の進学校を出ているらしく聡明で、話し方にも人を惹きつけるオーラがあった。自分との歳の差がたった1歳とは思えなかった。
「家族が好きではないの」
哲学的なことを小さい頃から考えるのが好きらしく、ステレオタイプに縛られてる家族に対しての不満を愚痴り、絶対に結婚なんてしないと高唱していた。
他にもいろいろ話していた気がする。話の展開がはやいせいかその目に見惚れてたせいかわからないが、内容もほとんど理解しきれないまま終わってしまった。
ご飯を食べ終え店を出て駅へ向かう。風は冷たいが先ほど食べた回鍋肉が体を温めている。
家までは、大学の最寄駅から2駅と乗り換えて1駅。友人は乗り換えずその人は乗り換えるのでたった1駅ではあるが2人の時間ができる。
私は誰かと2人になる時間が無性に好きだった。仲の良い友人と他愛もない話をするのも好きだし、あんまり話したことない友人と友好関係を築こうとぎこちない会話を楽しむのも好きだった。
乗り換えの駅で構内のエスカレーターを降りる間も無言の時間が続く。
電車に乗り込むと、その人が興味あることとか院で何をしたいかとか色々話をした。
その人と2人の時間はこの3日間のお手伝い期間しかなく今日が最後であるが、初日より2日目、2日目より3日目の今日と会話の量が増え心が落ち着いてきたように感じる。この徐々に関係が深まっていく感じがなんとも好きである。
話をしている間はずっと目を視ていた。話の内容がどこか別の次元に飛ばさていく感覚がある。全く頭に入ってこない。
その吸い込まれるような綺麗な瞳で幾人も虜にし生きてきたのだろう。
楽しい時間というのは早くすぎるもので最寄駅に近づく。心拍数に反して電車の車輪の回転数が減っていく。
「お手伝いたくさん来てくれてありがとうね、めっちゃ助かったよ」
「それはよかったです!残りの作業も頑張ってください」
「また機会があれば」そう言ってしまうともう二度と会えない気がしてどうしても言いたくなかった。
その目を視て最後に挨拶をした。
この時から私にとって「目を視る」行為は特別な意味を持つようになった。
異国の地にて(創作1)
その日は朝から雨が降っていた。長年連れ添った旦那と死別し、異国の地から帰ろうとしていた。世界的パンデミックの状況下で故郷の中国に帰るには色々と検査を受けた上で健康であることを証明しないと帰れないらしい。
飛行機は成田空港から出るが、住んでいたところからはそこそこ距離があるのでかなり時間に余裕をとって重いキャリーケースを転がしながら家を出た。家のある滋賀の近江からは、まず大阪へ出てそこから寝台特急で夜間に東京まで向かい、その後東京から成田まで向かう予定だった。しかし、物事はうまくいかないもので近江から大阪へ向かう電車が人身事故で長い間遅延していた。大阪の深夜0:33分発の寝台特急。間に合わない予定だった。大阪駅に着いてみると、山陰地方の大雨での影響でこちらも遅延しているらしい。助かったと思ったのも束の間、寝台特急の自分の座席がどこに来るかわからない。
その時、大学生くらいの男の子たちが通りかかったので声をかけてみた。
「今から来る寝台特急に乗りたいのですが、どこから乗ればいいか教えてくれませんか?」
大学生らは親切に教えてくれ、さらにその中の1人が私の乗り場まで着いてきてくれた。
彼は聞くに友達2人と東京から来たらしい。京都旅行に来たけど寝台列車に乗るべく大阪駅まで来たと言っていた。ここ数日の天気は最悪で、思うように観光できなかったのではないかと思う。
彼はとてもいろいろ話をしてくれて、今までにも京都で外国人に電車の行き先を尋ねられたことがあるそう。合っていると思って教えた行き先が間違ってたらしく、その外国人と一緒に引き返してきたことがあるらしい。
そんなこんな話をしながら自分の乗り場と思われるところまでなんとか到着した。
「ずっと慣れない地で駅まで来るのが孤独で辛かったけど最後にいい思いができたわ、ありがとう」
そう伝えると彼は、引き続き良い旅をと帰っていった。
まもなく到着した寝台列車の乗り口は間違っていた。